11月1日全校朝礼での学校長講話
19.11.01
令和元年度 大阪成蹊女子高等学校 11月全校朝礼講話
2学期も後半の11月になりました。
体育祭や文化祭が終わって、ほとんどの生徒の皆さんが学校行事や部活動で頑張っている姿を目の当たりにして、私は大変うれしく感じています。
ほんとうによく頑張ったと思っています。
一方、皆さん方自身はどうでしょうか。本校での学校生活に満足していますか。
皆さんの中には、まだまだ学校になじめない人や、または高校生活に不満を感じている人も少なくないかもしれません。
そんな人は、うまくいかない理由を、周りの友人や、先生、おうちのお父さん・お母さんのせいにしていませんか。
他人のせいにする前に、ちょっと自分自身を振り返り、自分の考えや行動を変えてみることも大切です。
往々にして、他者の変革を求める前に、自分が変わることで、うまくことが進む場合が多いのではないでしょうか。
今日は、自分を変えることの大切さを示す5分程度の話を聞いて欲しいと思います。
(スライド開始)
その女性は、何をしても続かない子でした。
田舎から東京の大学に来て、部活動やサークルに入ったのは良いのですが、すぐにイヤになって、次々と所属を変えていくような子だったのです。
そんな彼女にも、やがて就職の時期が来ました。
最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。
ところが、仕事が続きません。
勤め始めて3ヶ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間にやめてしまいました。
次に選んだ就職先は、物流の会社です。
しかし、入ってみて、自分が予想していた仕事とは違うという理由で、やはり半年で辞めてしまいました。
その次に入った会社は、医療事務の仕事でした。
しかし、それも「やはりこの仕事じゃない」と言って辞めてしまいました。
そうしたことを繰り返しているうち、いつしか彼女の履歴書には、入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。
すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます。
ついに、彼女はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。
だからといって、生活のためには働かないわけにはいきません。
田舎の両親は早く帰って来いと言ってくれます。
しかし、負け犬のようで帰りたくありません。
結局、彼女は派遣会社に登録しました。
ところが、その派遣会社も勤まりません。
すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあれば、その仕事をやめてしまうのです。
彼女の履歴書には、やめた派遣先のリストが長々と追加されていました。
ある日のことです。新しい仕事先の紹介が届きました。
それは、スーパーのレジを打つ仕事でした。
ところが勤めて1週間もすると、彼女はレジ打ちに飽きてきました。
ある程度仕事に慣れてきて、「私はこんな簡単な作業のためにいるのではない」と考え出したのです。
その時、今までさんざん転々としてきながら、我慢が続かない自分が、彼女自身も嫌いになっていました。
もっとがんばるか、それとも田舎に帰ろうか。とりあえず辞表だけ作って、決心をつけかねていました。
するとそこへ、お母さんから電話がかかってきました。
また田舎に帰ってくるよう、促がされ、これで迷いが吹っ切れました。
彼女はアパートを引き払ったら、その足で辞表を出し、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めました。
長い東京生活で、荷物の量はかなりのものです。
あれこれ段ボールに詰めていると、机の引き出しの奥から手帳が出てきました。
小さい頃に書き綴った自分の大切な日記でした。
無くなって探していたものでした。
そして日記をパラパラとめくっているうちに、彼女は「私はピアニストになりたい」と書かれているページを発見しました。
そう、彼女の小学校時代の夢です。
「そうだ、あの頃私は、ピアニストになりたくて練習を頑張っていたっけ」
彼女は、あの時を思い出しました。
彼女は心から夢を追いかけていた自分を思い出し、日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。
「あんなに希望に燃えていた自分が、今はどうだろうか。なんて情けないんだろう。
そして、また今の仕事から逃げようとしている…」
彼女は静かに日記を閉じ、泣きながらお母さんに電話をしたのです。
「お母さん、私、もう少しここで頑張るね。」
彼女は、用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤して行きました。
ところが、「2、3日でもいいから」と頑張っていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返しているうち、どのキーがどこにあるのか指が覚えていた。
そうなったら鍵盤を見ずに、楽譜を見るだけで弾けるようになった」
彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。
そして、数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。
すると不思議なことに、それまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目が行くようになりました。
最初に目に映ったのは、お客さんの様子でした。
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら、子ども連れで来るんだ」
とか、いろいろなことが見えるようになったのです。
そんなある日、いつも期限切れ間近の安いものばかり買うおばあちゃんが、5000円もする尾頭付きの立派な鯛をカゴに入れてレジへ持ってきたのです。
彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことあったんですか?」
おばあちゃんは彼女に、にっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。いいだろう、この鯛」
「いいですね。おめでとうございます。」
うれしくなった彼女の口から、自然に言葉が飛び出しました。
お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。
いつしか彼女は、レジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。
「○○さん、今日はチョコレートですか。でも、今日はあちらにもっと安いチョコレートが出ていますよ」
「今日はマグロより、カツオの方がいいわよ。」などと言ってあげるようになりました。
レジに並ぶお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から替えてくるわ」
そう言って、コミュニケーションを取り始めたのです。
彼女は、だんだんその仕事が楽しくなってきました。
そんなある日のことです。
「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。
すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして申し訳ございません。
どうぞ、空いているレジにおまわりください」
ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は、混み合いまして大変申し訳ありません。
重ねて申し上げておりますが、どうぞ空いているレジの方へお回りください」
そして三回目、同じ放送が聞こえてきた時に、はじめて彼女はおかしいと気づきました。
そして、ふと周りを見渡して驚きました。
どうしたことか、5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。
店長があわてて駆け寄ってきます。そして、お客さんに
「どうぞ、空いているあちらのレジにお回りください」
と言ったその時です。お客さんは、店長の手を振りほどいてこう言いました。
「放っといてちょうだい。私はここへ買い物に来ているんじゃない。
あの人としゃべりに来ているんだ。だから、このレジじゃないとイヤなんだ。」
その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました。
その姿を見て、別のお客さんが店長に言いました。
「そうそう、私たちは、この人と話をするのが楽しみで来ているんだよ。
今日の特売は他のスーパーでもやっているよ。
だけど私は、このお姉さんと話をするためにここへきてるんだ。
だから、このレジに並ばせておくれよ」
彼女はポロポロと泣き崩れたままレジを打つことができませんでした。
はじめて、仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと気づいたのです。
そうです。すでに彼女は、昔の自分ではなくなっていたのです。
その後、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わったそうです。
彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、今日もお客さんと会話していることでしょう。その後、彼女の履歴書がどうなったかは、誰も知りません。
以上です。
お話は少々長くなりましたが、人は日々の行動の中で何かうまくいかなくなった時、自分自身の考え方や、行動を変えてみることは、大変大切です。
人が成長するというのは、実はこのような自分の考えや行動を変えながら、階段を一歩一歩あがるように前に進んで行くことだと、私は思っています。
大阪成蹊女子高校で学ぶ皆さん全員が、大きく成長し、立派な人になってくれることを切に願っています。
そのためにも、自分の考えや行動を周りに合わせて、変えられる人になってください。
以上で、11月の全校朝礼の講話とします。