6月15日全校朝礼での学校長講話
20.06.15
令和2年度 大阪成蹊女子高等学校 6月全校朝礼講話
-通常授業再開の日を迎えて-
皆さん、おはようございます。校長の若林 智子です。
モニター越しではありますが、生徒の皆さんに話せる機会がやっときました。
やっぱり嬉しい気持ちになりますね。
しかし、まずは、この度の新型コロナウイルス感染症により尊い命を落とされた方々に哀悼の意を表し、今なお闘病をされている方々の一刻も早い回復をお祈りしたいと思います。
また、この度の新型コロナの影響で生活に大きな打撃を受けている方々、さらに、医療従事者をはじめ、ご苦労いただいている方々もたくさんおられます。
一刻も早くこの事態が収まることを願います。
そして、皆さんにも感謝をします。
この臨時休校期間中、生徒の皆さんが自粛のルールを守り、学校からの連絡も理解をして過ごしてくれたので、私たちは学校再開に向けての準備に集中することができました。
ソフトボール部の皆さんの動画には元気をもらいました。ありがとうございました。
また、皆さんも先生をはじめ、教職員の方が校舎内の消毒等をできる限りやってくれていることにも心を寄せてほしいと思います。
さて、今日から通常授業や部活動が再開します。
「やった~!やっと元通りの生活だ!」という気持ちでしょうか。
まだまだ心からそんな気持ちにはなれないですね。
また、安心されても困ります。新型コロナウイルス感染症は終息していません。
先週見てもらった日本赤十字社が作った「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう」にあったように、不安になり過ぎることなく、「手洗い・咳エチケット・人混みに行かない」を忘れない生活は続けていきましょう。
とは言っても、「毎日登校する」生活が始まりました。
誰もがこの生活をちょっと前まで「普通」と思っていました。
でも今は、毎日登校することに不安や戸惑いを感じるのも「普通」かもしれません。
そう、「普通」って何でしょう。
社会という大きな集団にも、友達どうしの小さな集団にも「これが普通」という基準があり、普通じゃないと「おかしい」と判断をされることが多くあります。
誰もが自分の考えや行動を普通だと思い、その基準と違う人を受け入れるまでに時間がかかる、または受け入れないという選択をすることも多くあります。
「普通」って何でしょう。普通という基準ほど難しいものはない、と私は思います。
自分の思い込みや固定観念にとらわれず、幅広い考え方のできる人に私はなりたいし、皆さんにもなってほしいと願います。
この字(「労」)を見てください。皆さんがこの字を見て思い浮かんだのは、「苦労・労働」という言葉だと思います。
明るさや優しさのイメージではないですね。
この字に「る」をつける(「労る」)と「いたわる」、「う」をつける(「労う」)と「ねぎらう」と読みます。
苦労とは全然違う印象になりませんか。
これからは、見方を変える、というスイッチを入れてみだくさいね。
しかし、見方や考え方を変えても、新型コロナウイルスの影響は大きくて、不安や辛い気持ちからなかなか抜け出せないのも現状です。
大人も子どもも、皆さんと先生たちも一緒です。
無理をせず、頑張り過ぎず、不安や辛い気持ちは吐き出すようにしましょう。
先生たちも皆さんの話し相手になりますよ。
また、皆さんも先生たちの話し相手になってあげてくださいね。
先生たちは頑張りすぎるから、ちょっと心配です。
心配と言えば、新型コロナウイルスの影響で、アルバイト申請を考えている生徒の皆さんが増えるのではないか、と心配しています。
現状は理解しているつもりですが、皆さんの学習を1番に考えながら検討したいと考えています。
これまでのルール通り、学校に黙って始めることなく相談をしてください。
最後に、残念な連絡をします。
何度も、何度も、何度も考えましたが、3密をせず、かつ熱中症の心配もなく実施することは困難、と判断し体育祭は中止と決めました。
今後も学校行事に関しては、「時期をずらす、内容を変える、中止とする」ということがあるかもしれませんが、どんな行事も「何としても実施する」を考え方のスタートとしています。
そのためには、学校生活が中断されないよう、皆さんと助け合いながら「With コロナ」の生活を送りましょう。
そして、自分の身体と心の声に耳を傾けながら、通常授業再開の1週間をスタートさせるという気持ちを忘れないでくださいね。