大阪成蹊女子高等学校 第73回卒業証書授与式式辞
依然として、日本をはじめ、世界各国が不安な日々を過ごしておりますが、弥生3月、桃の節句にあたり、春の訪れが感じられ、私たちを優しい気持ちにさせてくれます。
この佳き日に、大阪成蹊女子高等学校第73回卒業証書授与式を挙行できますことは、教職員一同、この上ない喜びであります。
公私ご多用中にも関わらず、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様には心よりお礼を申し上げます。
また、保護者の皆様におかれましては、この間、時にご苦労もおありになったことと思います。
そうしたご苦労が実り、皆様の深い愛情に包まれ、お子様は心身ともに大きく成長されました。
今日の日を迎えられましたことに対し、心からの敬意とお祝いを申し上げるとともに、これまで本校の教育活動にご理解、ご協力そして、ご支援いただきましたことに心より感謝を申し上げます。
さて、ただ今、卒業証書を授与しました73期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
今、卒業証書を手にして、一人ひとりが高校生活を振り返り、日々の学習や学校行事に修学旅行、そしてクラブ活動や友人と過ごした何気ない時間、また、コロナ禍で一変した日常の中でも懸命に過ごした日々などを思い出していることでしょう。
おのおのの力を結集し、協働しながらゴールに向かって進んでくれたことは、皆さんの大切な、そして自慢できる思い出であると同時に、先生たちにとっても誇りです。
皆さんに感謝をします。ありがとう。
在学中に令和という新しい時代が幕を開け、大阪成蹊女子高等学校から巣立ち、次のステージに向かう皆さんに大きな期待をしながら、餞の言葉を贈ります。
いつも「常識のある人」でいてください。
常識と聞いて、皆さんの多くは「社会であたり前と思われる価値観や知識、行為」という辞書に載っている言葉に置きかえたと思います。
あたり前や普通とは、個人の考え方や習慣などによって違うことがよくあり、あたり前や普通って何だろう、と考えさせられることもよくあります。
今、私が皆さんに伝えたい「常識」とは、「常に相手のことを思ってとる行動」という考え方です。
ある書物でこの考え方に出会いました。
この考え方では、常識の反対語である非常識の意味は、「相手のことを思わない、自分の事しか考えていない行動」ということになります。
そして、常識というのは世界共通。
文化・習慣・風習とは全く違うもの。
国が違っていても関係がないもの、だそうです。
習慣というのは常識ではなく、常識とは相手を思う行動のこと。育った環境も年齢も国も何も関係なく、相手を思いやるから相手に迷惑になることはしない、というシンプルな考え方。
相手を思いやることができる人は、自分の周りのものを全て大切にしようとする。
これが「常識のある人」ということになる、と書いてありました。
辞書に載っている常識の意味も決して間違いではありませんが、この考え方も悪くない、と私には思えたのです。
そして、この考え方は、皆さんの母校である大阪成蹊女子高等学校の校訓「忠恕」に通じます。
皆さんもきっと共感してくれる考え方だと思いました。
しかし、この考え方の「常識のある人」でいても、他人の心の中を見ることはできないので、この考え方をすればコミュニケーションがいつもうまくいく、と言っているわけではありません。
考え方は一つではない。
自分自身のあたり前や普通、という枠で考え方の広がりに制限をかけないでほしい、と願っています。
また、この考え方の「常識」に対する「非常識、自分のことしか考えていない行動」。
そのような非常識なことをしてしまっていないかどうか、を振り返ることを忘れないでいたい、皆さんにも忘れないでほしい、とも思っています。
結びに、これからも健康に気をつけ、それぞれが夢中になれることを見つけ「一歩前へ」と挑戦し続けることを願います。
「失敗すればがっかりするけれど試さなければ運に見放される。」
皆さんの前途に幸多かれと祈念して、私の式辞といたします。
令和3年3月3日
大阪成蹊女子高等学校長 若林 智子